無線機



一昔前、何台かで走るバイクツーリングで、
無線で会話しながら走行するのを見かけたことがある。
それはそれは楽しそうに会話をしていた。
たぶん自分の愛車の自慢話、景色の話、彼女の話、
最近のできごとなど、たわいもない話で盛り上がっていたのだろう。

僕にはバイクに乗っている友達の中で
アマチュア無線の免許を持っている人がいないため、
無線機は一度も使った事がなく、走行中の会話は皆無。
信号で停車する度にヘルメット越しに会話する程度だ。
それでもあまり聞き取れず、聞こえたフリしてうなずく事があるが
「さっき言ってたことは何だった?」と、後から聞くことが多い。

アマチュア無線免許の保持者である僕は
そういう無線で話しながら走ってみることにあこがれる。
おそらく、のんびり走るツーリング中の会話は楽しい物になると思う。


無線機を通して会話をするのは楽しい物。
しかし、人生の中に誰もが目に見えない無線機を持っている。
それは
「祈り」という、神さまと話すための無線機だ。

皆これを持っているはずなのに、ある人は使わず、
ある人は使ったとしても
「苦しいときの・・・」というようなもの。

のんびり走るツーリングで、たわいもない会話が
ツーリングをさらに楽しいものとするのであれば、
いつでも神さまとお話が出来るなら、
人生というツーリングは、もっと楽しい物になると思う。

聖書は僕にこのように教えてくれる。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
            テサロニケ人への手紙第一 5章16〜18節


人生の中で与えられている無線機は、
神さまがあなたと話したいと思い渡された物。
もし、無線機を使わずヘルメット越しに話すようにしているなら、
あなたは人生の楽しさを半減させているのかもしれません。